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不良少年だった私の人生の転機

10月10日サトーカメラは
創業62周年を迎えました📸
父は威厳を保つタイプ
母はざっくばらんで
誰とでもすぐ仲良くなり
人の懐に入るのが上手

父が商売の方向性を決め
母はその方針に従いながら
二人とも自分で売って稼いでいた

夫婦二人で毎日毎日働いて
サトーカメラを築いてきました

店舗兼自宅だったので
私は物心ついた頃から
両親の働く姿を見て育ちました

何か問題が起きれば
自分で考え
自分で解決策を見つけ
自分が率先して動く

そんな父の姿は
カッコよかった

ところが不思議なもので
父のような人生を
送りたいとは思わなかった

中学1年夏の進路指導の時に
学校の勉強をする意味が
どうしてもわからなくなり
「もう学校の勉強はしない!」
と自分で決めてしまった

ところが……
勉強しないことへの不安
この先どうなるのかという恐怖
実は毎日が怖かった

高校受験では
試験の1週間前から 
勉強して進学した

高校に入っても
学校の勉強は
一切しなかった

進学も考えていない
就職も考えていない
将来の夢もない

何をしたいのか?
どうしたいのか?
まったく考えていない

今振り返れば
私は父に依存していたんだと思う

高校卒業が近づき
いよいよ進路を
決めなければならなくなった

そこで父は
「写真屋の倅だから
写真関連の大学なら
コネで入れてもらえる」と考え
学校に推薦をお願いしに行った

すると進路指導の先生が
父と私の目の前で
こう言うのです

「お前は我が校の恥だから」
今でも忘れられない言葉です

そりゃあそうです
全く学校の勉強しないんだもの

たとえ父のコネがあったとしても
学校としては
推薦出来ないのは当然だった

父と二人
思わず顔を見合わせて
笑ったことを覚えています

あの頃の私は
自分の将来すら
自分で切り開けない若者でした

それでも父は
私を見捨てなかった

それなら
「東京の写真専門学校へ行け」
と言って
父が自ら推薦文を書き
東京写真専門学校に入学しました

商売で問題が起きれば
自分で考え
自分で動いて解決する父

息子の進路が行き詰まったときも
同じように動いてくれた

でも父のように
地道に働く人生は嫌だった

そのくせ
肝心なところでは
父に頼っていた

自立したかったのに
自立できていなかった

これが10代の
佐藤勝人の現実でした

そんな私が憧れていたのは
芸能界
東京暮らし
アメリカ
ファッション

地道な商売より
もっと刺激的で
華やかな世界で生きてみたい

東京へ出たものの
ただの遊び人となっていた

そんな時に
父から家業を手伝ってほしいと

それが
宇都宮に帰ってきたら
夜は毎日友だちと遊び
則子さんと付き合い始めて
これが楽しくて仕方ない

華やかな世界に憧れていた私が
結局、父の店に帰ってきた

でもそれは
自分にとって大切なものが
宇都宮にもあったということ

父の仕事
母の働く姿
そして則子さん

当時は気づかなかったけれど
私の人生を支えるものは
すでに身近なところに
揃っていたのかもしれません

ただし!
華やかな世界への憧れが
消えたわけではありません

それが21歳のとき
ある大会で優勝し
なんとグランドチャンピオンにまで
選ばれてしまったのです

すると、あの
大手芸能プロダクションの会長から
「お前は変わってるからいい!」
直接スカウトされたのだ😎
夢にまで見た芸能界から
まさかのスカウト!

ところが……
半信半疑の私は
せっかくのチャンスに
とんでもないことを
やらかしてしまいました

そしてその後
芸能界ではなく
カメラ業界で成功してやる!
と決意する
人生の転機が訪れます

不良少年だった私が
なぜ日本一を目指し
「勝ち易きに勝つ」
「まず地域一番になる」
という経営戦略に
たどり着いたのか?

続きは明日の後編で!😎
#佐藤勝人
#サトーカメラ
#創業62周年
#商売人の原点
#人生の転機

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